NARUTO-ナルト-の世界における忍者観

NARUTOは忍者じゃない?

ナルト達は忍者ではなく超能力者だ、という声が読者の中でも少なくない。少なくとも本格的に忍者を描いた漫画でないことは間違いないだろうが、手裏剣や忍術などをはじめ大々的に忍者をモチーフにした漫画でありながらなぜこうした違いが生まれたのだろうか。「漫画だから」と片付けずに一歩踏み込んで考察してみたい。

そもそも忍者とは何か

wikiによると「忍者(にんじゃ)とは、鎌倉時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕えたり仕えなかったりして諜報活動、破壊活動、浸透戦術、暗殺などを仕事としていたとされる、個人ないし集団の名称。」とされている。

一般的なイメージでも決して表に顔を出さず裏で工作や暗殺を行ったり敵地に忍び込んで情報を奪うスパイといったところではないだろうか。

序盤はまだ忍者を意識していた

ナルトの初期ではある程度「忍者らしさ」を意識して描かれており、それはイルカとミズキによる変化の術や変わり身による化かし合いや手裏剣による戦闘、カカシがサバイバル演習で口にした「忍たるもの基本は気配を消し隠れるべし」という言葉からも伺える。

波の国での護衛任務でもナルト達第七班は堂々と護衛しているものの敵の忍者達は奇襲を仕掛けるのが常であり、再不斬の霧隠れの術や無音殺人術(サイレントキリング)など暗殺を旨とする忍者らしい行動が垣間見える。

いつから忍者らしくなくなったのか

第四次忍界大戦や忍連合軍はもちろん中忍試験第三次予選での1対1での戦闘、さらにそのステージがまるで格闘ゲームのように隠れる場所一つない石畳のうえであるなど忍者らしくない要素は終盤になればなるほどたくさんあるが、どこからこの傾向は始まったのだろうか。

実は木ノ葉隠れの里というシステムが明らかになった時点でこの傾向は始まっている。秘密裏に任務を受けて遂行するはずの忍者が堂々と国(厳密には里だが国と同等の力と外交能力を有する)を構えて火の国をはじめ周辺諸国から仕事を請け負っているという設定を中核にしてしまった時点で一般に思われる「忍者らしさ」とは違う方向に進んでいたのではないだろうか。

超能力漫画と言われるゆえん

「忍者なのに忍ばない」ということもそうだが超能力漫画と言われる最大の原因はチャクラの存在とその万能性、技の派手さなどだろう。ナルトにおけるチャクラの概念はジャンプのバトル漫画において全く新しいものとは言えず、ドラゴンボールの気や幽遊白書の霊力や妖力、ハンターハンターのオーラなど類似のものが描かれているものは超能力漫画にいくつかある。

さらに繰り出される技が忍者の行いそうな暗殺とはかけ離れた爆発を巻き起こしたりする派手なものだったり、そもそも技の威力が地面をえぐったり岩盤を破壊したりと行き過ぎている感が否めないものであることも原因の一つだろう。

実は整合性はとれている

筆者はナルトという作品が好きだし本格的な忍者らしくないからといって否定する気もない。そしてナルトの世界での忍者観は現実の忍者のイメージとは異なるものの作品としての整合性はとれていると思う。

ナルトの世界での忍者が現在のように表立って活動するようになったのは鉄の国で説明されたように侍の力を忍者が大きく上回ったからであり、そのために忍者が大々的に国家の戦力として考えられるようになり軍隊のような役割も担うようになったと考えればさほど不自然ではないのではないだろうか。

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