なぜ春野サクラはここまで嫌われるのか

意中のサスケに好かれたいばかりに、ナルトやサスケの生い立ちや心境を考慮せず、差別的発言でナルトを貶め、挙句の果てに肝心のサスケに対しての地雷をも踏んでしまうサクラ

ナルトあるある話の1つに「春野サクラはいくらなんでも性格が悪すぎる」「嫌いなキャラといえばサクラ」といったものがあります。読者からここまで嫌われるヒロインというのも珍しいのですが、この記事では「なぜ春野サクラがここまで嫌われるのか」について考察してみます。

時代の変遷に伴う価値観の変化

まず大前提として語っておきたいのが、NARUTOは1999年から2014年まで連載が続いたロングセラー作品であり、連載当初と連載終了、そして続編のBORUTOが連載開始となった2016年、さらにBORUTO連載中の2024年現在まで入れると実に25年間と、この期間では読者の価値観が大きく異なっていることです。

特にこの25年間はハラスメントを筆頭に、対人関係の価値観が大きく変わった時代と言えます。

例えばサクラが嫌われる理由の筆頭として挙げられる次のシーン。

意中のサスケに好かれたいばかりに、ナルトやサスケの生い立ちや心境を考慮せず、差別的発言でナルトを貶め、挙句の果てに肝心のサスケに対しての地雷をも踏んでしまうサクラ

▲意中のサスケに好かれたいばかりに、ナルトやサスケの生い立ちや心境を考慮せず、差別的発言でナルトを貶め、挙句の果てに肝心のサスケに対しての地雷をも踏んでしまうサクラ

この発言と態度がひどいものであることに変わりはありませんが、この話が掲載された2000年あたりの価値観では、こういった態度・発言はそこまで珍しいものではなく、特にこの当時のサクラと同じ12歳の女子が学校でこういった発言をしても、社会的にそこまで咎められることはありませんでした。

ナルトど真ん中世代の私から見ると「学校でよくあるいじめ」であり、ナルトばりにいじめられていた側である私からすれば当然腹の立つ仕草ですが、日常的に慣れた光景でもあり、まして当時はこういった言動に対し、教師が「いじめられる側にも原因があるのだからお互い様」といった態度を取ることが常でした。

なので「腹の立つシーン」ではあるものの、そこまで衝撃的なシーンではなく、「年齢的にもまだ未熟で相手への思いやりに欠けている」描写と、「ここでサスケに怒られたことをきっかけに人の気持ちを考えるようになる」という期待を見て取ったのを覚えています。おそらく作者としてもそういう意図での描写でしょう。

しかし、これは人権や差別、ハラスメントが社会問題として大きく取り上げられるようになった2015年以降の価値観からすれば信じられない言動・態度であり、現代の若者から見ると「ライン踏み越えすぎてて無理。この描写だけで読むのやめるレベル」なわけです。

実はサクラに限らず、木の葉の里の村社会っぷりは令和の日本の価値観では考えられないほど人権意識が薄く、

  • 里のために九尾の器となったナルトを差別し迫害する
  • 仲間を守るために任務を中断したはたけサクモが里中から責められ、あろうことか助けた仲間たちにまで中傷され自殺に至る
  • 必死に努力するマイト・ダイ&ガイ親子を嘲笑い馬鹿にする

いった具合です。

カカシの父、はたけサクモが里中から中傷され自殺に至る経緯

▲カカシの父、はたけサクモが里中から中傷され自殺に至る経緯

サスケのことが好きすぎるが、その裏付けが不十分

サクラが嫌われる理由としてよく挙げられるのが「サスケのことが好きすぎる」「盲目的」です。ただ、これには実はもう一歩踏み込んだ理由があります。

単にサスケのことが好きすぎるだけならば「一途な女」として、むしろ人気が上がっていたことでしょうが、肝心なのはサクラがサスケをめちゃくちゃ好きである理由が不十分なことです。

もともとサクラがサスケを好いていた理由は「顔がタイプだから」「学年トップ」「かっこいいから」くらいです。初期の理由としてはこれで十分なのですが、実はその後サクラは第七班として共に行動しながらも、サスケの優しさや内面に触れる機会がほとんどありません。

というかサスケ自体が自分の本心を出すことが少ない性格で、そのほとんどはサスケの内心や過去の回想シーンで語られています。それもそのはずで、唯一サスケが感情的になって内心を出してしまうのが、境遇の似ていたナルトなのですから。

それだけの薄っぺらい理由で、里に歯向かい危険因子となったサスケに付いていこうとしたり、「サスケくんを連れ戻して…」と涙ながらにナルトに懇願しているのは、読者から見ると「面食いメンヘラ女」に見えてしまうのです。

結局は他人に頼りっぱなし

サクラが不人気な理由として「他人に頼りっぱなし」というのもよく挙げられる要因です。これもおそらく作者はそういうつもりで描いていないのだと思いますが、実際そうなってしまっています。

代表的なのがサスケが大蛇丸の誘いに乗って里から出ていこうとするシーンですが、ここでサクラは呼び止め、どうしても止められないならサスケに付いていく、それもダメなら大声を出して(人を呼ぶ)とまで言い出します。しかしそれだけです。

本当にサスケを止めたかったのであれば、泣き喚いて説得するのではなく、ナルトのように力づくででも止めようとするとか、強引に付いていくとかできたはずです。読者としては、少年漫画のヒロインにはそういった熱量や行動力を期待したのではないでしょうか。

泣き喚いてサスケを説得するが、それ以上自分が行動しようとはしないサクラ

▲泣き喚いてサスケを説得するが、それ以上自分が行動しようとはしないサクラ

しかしサクラが取った行動は口頭での説得だけでした。もちろんこの時点でサクラとサスケの実力差は大きなものですが、そこまでサスケを大切に思っているのであれば、口先で訴える以外にやりようがありました。

後日また涙を流しながらナルトに「サスケくんを連れ戻して…」とお願いすることになります。あれだけ馬鹿にしていたナルトに結局頼りっぱなしなのも印象が悪く、また、この時も「奪還メンバーに選ばれなかったけど勝手に付いていく」みたいな行動は取りません。とにかく人任せなのです。

「サスケくんを連れ戻して…」と涙ながらにナルトに懇願するサクラ

▲「サスケくんを連れ戻して…」と涙ながらにナルトに懇願するサクラ

都合よくナルトの恋心を利用しようとする

物語開始時点から、サクラはナルトが自分に恋心を抱いていることを知っています。そのうえでサクラはナルトを拒絶しており、それだけなら単なるナルトの片思いであり、サクラが嫌われる理由にはなりません。

しかし、その背景があったうえで「都合の良い時だけナルトの恋心を利用する」点が激しく嫌われています。

作中で明確にサクラがナルトの恋心を利用したシーンは2つ、少年編と青年編(疾風伝)でそれぞれ1回ずつです。

デートを餌にナルトに相談に乗ってもらおうとするサクラ

▲デートを餌にナルトに相談に乗ってもらおうとするサクラ

少年編ではサスケが自分たちの元からいなくなってしまうのではないかという不安からナルトに相談をもちかけています。普通に仲間として相談すればいいところを、わざわざ「デートしてあげるから付き合いなさい」と恋心を利用し、それも上から目線で言っているのが鼻に付きます。

しかもこのシーンの少し前、ナルトはサスケとその看病についたサクラを2人きりにするなど、私欲を抑え気を使っている場面があり、にもかかわらずデートを引き合いに相談を持ち掛けるサクラの印象を悪くしています。

ナルトに「ウソの告白」をするサクラ

▲ナルトに「ウソの告白」をするサクラ

青年編ではもっと悪く、ナルトにサスケを追わせないために、ナルトに対し「ウソの告白」をしています。

しかしこの頃になるとナルトも精神的に成長していて、サクラのウソを一瞬で見抜き「自分に噓をつくような奴は嫌いだ」と一蹴されています。

「恋心を利用すればナルトの行動をコントロールできるだろう」という打算も醜いですし、「いつまでもナルトは自分のことを好きなはずだ」と思い込んでいるのも痛々しいです。

まとめ

こうして言語化してみるとサクラが読者に嫌われている理由がよくわかります。

NARUTOファンの一人として思うのは、おそらく作者はサクラを「最初はナルトを馬鹿にしているけど、最も近い距離で行動を共にすることで徐々にナルトを好きになっていく」という、少年漫画のテンプレヒロインとして描こうとしていたのではないか、というところです。

それはナルトの母・クシナの外見やヒステリックがサクラと似通っていたり、ミナトとクシナの掛け合いがナルトとサクラの掛け合いの重なる部分があったり、ミナトがサクラを見て「クシナにそっくり」と言っていることなどからも垣間見えます。

しかし、作者がこうした乙女心の移り変わりを読者に支持される形で取り入れるのが苦手だったことと、物語が進むにつれてサクラに対する読者の風当たりが強くなり過ぎたこと、そして何より、日向ヒナタという正統派ヒロインが存在してしまったことにより軌道修正を余儀なくされたのでしょう。

ナルトのパートナーになれなかったとしても、せめてサスケの内面に強く惹かれていく描写がもっと丁寧に描かれていれば、読者からここまで嫌われることはなかったのでしょうけれど、多忙な週刊連載の中で、バトルものとしてはサブストーリーである恋愛方面までしっかり描き切ることの難しさが見て取れます。

このエントリーをはてなブックマークに追加